渋沢栄一
2024年発行の新紙幣が発表されました!
紙幣が発表される時に、気になるのが紙幣の顔となる人物。
今回の1万円札の顔は、さまざまな偉業を成し遂げた渋沢栄一さんです。
けど、「ん?誰???」となった人も多いはず!
一言で言うと、「民間のレベルから日本を近代化した偉人」なんです!
今回は渋沢栄一について、深掘りします!!
これを読んだら、新紙幣を初めて持った時の高揚感がさらに高まりますよ!!!
渋沢栄一の深掘りポイント5つ
1. 生まれは農民!幕末に翻弄された青年時代
2. 政府の役人として、奔走した30代前半
3. 日本に資本主義を持ち込んだ男!500もの企業の設立に携わる
4. ノーベル平和賞
5. 何度も紙幣の顔の候補になって、落ち続けたわけ
生まれは農民!幕末に翻弄された青年時代
渋沢栄一が生まれたとき、時代は江戸末期、藍を買って、布を染める農家の息子として生まれました。
実は青年の頃、はじめは横浜を焼き討ちしようと画策し、倒幕派として行動していたようです。
しかし、ここで、人生を変える出来事が!
なんと、未来、将軍となる一橋慶喜に従え、働くことになったのです!それがきっかけで、フランスで開かれたパリ万博の使節団の一員となり、世界の最先端を肌で感じます。
多くの刺激を受けて、日本に帰ってきた渋沢栄一。彼はその経験をもとにはじめは政治の世界に乗り込んで行きました。
政府の役人として、奔走した30代前半
大隈重信に引き抜かれ、彼は政府の役人としても、皆さんが聞いたことのあるさまざまな出来事に関わってきました。
彼が関わってきたのは、
郵便制度・廃藩置県・戸籍法・鉄道業・新貨幣単位《円》作成・富岡製糸場・国立銀行条例・地租改正などなど、、、、
政府のリーダーとしても活躍し、のちには貴族院の議員として政治を動かしたこともあったようです。しかし、彼は政治という「上からの日本の改革」には向いていなかったのか、33才のときに政治の表舞台から退きました。
ちなみに、彼は銀行という言葉を作った人でもあるんですよ!
日本に資本主義を持ち込んだ男!500もの企業の設立に携わる
ここから、また彼の躍進が始まります!
政治からの引退を機に彼はいろんな業種の企業の設立に携わっていきます。
日本で初めての銀行を作り、みずほ銀行などの今も残る金融機関をつりあげました。
他にも、KDDIや大王製紙、東京ガス、一橋大学に日本経済大学、日本赤十字社、病院など500の企業をの設立に携わった人物なんです!
ノーベル平和賞の候補にも!
そんな、日本を民間のレベルから近代化していった渋沢栄一。農家の息子から、日本の一つの財閥を作り上げた実力者だったのですが、同時に社会福祉事業にも熱心に取り組んでいました。彼の、人のために労力惜しまない姿が評価され、後にはノーベル平和賞の候補にも選ばれ、日本人初のノーベル平和賞受賞者になると期待されていたんです!
何度も紙幣の顔の候補になって、落ち続けた理由
新貨幣単位の《円》を作り、銀行という名前の生みの親、資本主義を始めて日本に持ち込んで、500もの企業の設立に携わり、ノーベル平和賞にもノミネートされる人物。
そこまで知ると、今まで紙幣の顔にならない方が不思議に思える人ですよね!
実は何度も紙幣の顔の候補に上がっていたんです。それでも紙幣の顔になれなかった理由は、「髭が生えてない」というあっけない理由でした。昔の紙幣は偽造がしやすかったため、複雑な細部のある髭のある人物が採用されていたのです。紙幣の偽造防止技術が向上して、やっと彼は新紙幣の顔になることができました!
このように、渋沢栄一は生まれてから死ぬまで、さまざまな伝説を残したすごい人物だったんですね!このことを聞くと、新紙幣の顔に選ばれるのも納得ですね!
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